特にこの3年、以前に比べ「思いやり」を掲げた心無い世の中に感じるのは私だけでしょうか。
広辞苑によると思いやりとは、「まごころ、相手の立場で考える」という意味です。
でもこの3年は、その「相手の先にいる誰か」「相手から跳ね返って自分」のことを考えて相手に何かを強要するという状況なんじゃないかなって感じています。
そして、「相手を思いやっている自分」をアピールする、ある意味承認欲求的な次元でしかないことを、あたかも「私は他人を思いやれる」と錯覚していないかな?と思うのです。
だから、世の中どんどん殺伐としてきているんじゃないかと。本当に思いやれるのであれば、もっと相手のいろんな状況を想像して、画一的でなはない対応ができる。目くじらを立てるのではなく、相手に求めるのではなく、自分でできる限りのことを自分の立場ですることが出来るのではないでしょうか。
と、なんでこんな真面目な話をしたかと言うと、理由はくだらないんです。
自治体はこの時期、日本全国の企業から源泉徴収票を受け取り、今年の春以降の住民税等を決める作業をします。逆に言うと、各企業は社員が居住する自治体すべてに、源泉徴収票を送っています。
その源泉徴収票の数字が違っていたので、再送し、差し替えてもらわなければいけなくなりました。担当者が添え分を作ったので、正しい源泉徴収票と添え分を送る作業をしていたのですが、その文章を見てふと手がとまりました。
そこには「不備がありましたので、差し替えをお願いします」とありました。
そうなんだけどね。
自治体でどういう作業をしているのか、詳細はわかりません。でも「どういう不備がある」という一言を追加してあげれば、受け取った担当者はそこだけを確認すればいいのです。
ただ「不備」としてしまうと、既に送っているものと今回送ったものを並べて、上から下まで比較して、違う所はどこか確認しなければいけません。
「住所が違いました」「フリガナが違いました」「金額が違いました」その一言があるかないかで、1つの作業に掛ける時間が変わってきます。
人を思いやるというのは、想像力が必要です。「相手の立場になって考える」ことで「自分はどう行動するのが良いのか」これが思いやりなんです。
と、昨今の世の中の「誰かへの思いやり」って言えば攻撃することさえも許される風潮が嫌すぎて、書いてみました。